第70回日本PTA全国研究大会-山形大会報告-

新型コロナウイルス「第7波」の感染拡大が収まらない中、コロナ感染に細心の注意を払いながら、第70回という節目の日本PTA全国研究大会に、長崎市PTA連合会からは3名が参加しました。

記念すべき第70回の大会主題は
「人とひとのつながりを体感しよう!」~あがらっしゃい精神の山形から~

分科会や全体会の中で、その精神を垣間見ることができました。
8月26日(金)の分科会については、参加者それぞれが報告し、全体会については事務局長が報告します。

今回は、市P連より田崎副会長(左)、田川副会長(中央)、小澤事務局長(右)で参加

3つの分科会に参加しました!

第5分科会 広報活動

研究課題「広報活動による家庭・学校・地域のつながりを求めて」
~特色を生かした新たな広報活動を考える~

コミュニケーションのベースとなる「情報発信のあり方」について着目し、アナログとデジタルのそれぞれの特色を生かし、新型コロナウイルス感染症との共存も考慮した新たな広報活動について考えました。

・広報紙作りには、だれでもが参加でき、発行する側が楽しめる、楽しい工夫をすること。
・伝える相手にどんなふうに思ってほしいのか、しっかり考えておくことが大事。

などたくさんのことを学ぶことができました。
また、コロナ禍で困っていること、これがあったら助かるのに、といった弱さを発信する、勇気をもって弱さを見せることも大切であるという思いを強くしました。

(参加者︰小澤)

第8分科会 環境・安全

研究課題 悩みに気づき、相談される関係性をつくる
~子供たちを見守るために必要なものとは~

寒河江市立寒河江中部小学校金管バンドによる歓迎アトラクションで、第8分科会は幕を開けました。

木村泰子氏による基調講演と、江川和弥氏による実践発表を聴き、保護者・学校・地域が一体となって活動する事の必要性を改めて感じました。
私たち大人がつながり、子どもたちとの信頼関係を築くことができれば「子どもたちの安心できる居場所」が増え、一人で悩み苦しむ子どもを助けられるのではないでしょうか。

わが家の3人の子ども達も、これからきっとたくさんの人と関わり「居場所」に助けられながら成長していくのでしょう。そして、将来、誰かの「居場所」になってくれたら嬉しく思います。

(参加者︰田崎)

特別第2分科会 文部科学省協力

メディア・リテラシー育成における学校教育と家庭教育の役割
~子供たちへのメディア・リテラシー教育を考える~

実際の教育現場でどのようにメディア・リテラシー(情報活用能力)が育成されているか、またこれからのICT環境整備の在り方や問題点を理解した上で「私たち保護者が果たすべき役割とは何なのか?」をパネルディスカッションを通して考えていきました。

【討議の視点】 
①現在の教育現場におけるメディア・リテラシー育成の実態について 
②これからの教育現場や家庭でのICT環境整備の在り方や問題点について 
③メディア・リテラシー教育の重要性について

ディスカッションの中で頭に残ったのは、以下の点です。
・学校でメディアに関して失敗できる
・ICT(個別PC)を使うことで個別指導ができる
・道具は現実を拡張する
・テスト結果を子どもが管理し、どこが苦手か自分でわかる
・コンピュータは、遊び方は分かるが、学び方は分かっていない
・コンピュータを使えないと大変な時代になっていく
・ネットの情報を疑う力

これからはメディアを規制することより、メディアを使いこなす(その情報が正しいか判断する)力を身に付けることが重要であると感じました。

(参加者︰田川)

全体会は音楽を通して

8月27日(土)の全体会は、日本の指揮者を代表する飯森範親氏の記念講演と山形交響楽団の記念演奏会でした。

真の指揮者とは「一本のタクト」により、オーケストラの演奏者一人ひとり、聴衆者の一人ひとりを見えない糸でつなぎ合い、紡いでいく。

あらゆるものを超越した唯一無二の空間を作り出せる存在である。

真の演奏者とは会場にリアルで参加し、身もこころもそこに存在することなくしては実現しない。

以上のことを話されたのが印象的でした。

指揮者という仕事を通して、具現化してきた「人とひとのつながり」の大切さをお話と演奏から体感できました。同時にお話を伺いながら「人とひとのつながりを大切にしているだろうか」「いいものが分かる感性を身に付けているだろうか」とわが身を振り返りました。

そして、これからは「人に対する感謝の気持ち ありがとうを伝えることことを大切にしたい」と強く感じ、生き方のヒントをたくさん頂いた気がします。

最後に、第5分科会の会場へ向かう途中で出会った方の山形弁丸出しのしゃべり方がとても温かく心に浸みました。令和4年の夏、コロナ禍の中で「最高の思い出」となりました。

(報告者︰小澤)